奈良文化財研究所

95012891-真慈悲寺推定地出土の中世瓦ジヒテラスイテイチシュツドチュウセイカワラ

文化財総覧WebGIS
RecNo : 95012891
ID :
市町村ID :
種別 :
名称(漢字) : 真慈悲寺推定地出土の中世瓦ジヒテラスイテイチシュツドチュウセイカワラ
名称(かな) : シンジヒジスイテイチシュツドノチュウセイカワラ
所在地コード : 132128.0
都道府県番号 : 13.0
所在地 : 東京都日野市神明1-12-1ヒノシシンメイ
主な時代コード :
主な時代 :
指定区分 :
北緯(日本測地系) :
東経(日本測地系) :
北緯(世界測地系) : 35.668
東経(世界測地系) : 139.3984
時代・遺跡種別コード :
時代・遺跡種別 : 工芸品
面積 :
群集遺跡ID番号 :
遺構概要 :
遺物概要 : 名称_カナ:シンジヒジスイテイチシュツドノチュウセイカワラ、名称_英語:Meadieval Roof Tiles Excavated from the Presumed Location of Shinjihi-ji Temple文化財分類:日野市指定有形文化財シテイユウケイブンカザイ、種類:美術工芸品、場所名称:日野市、員数:43点、所有者等:日野市、利用可能日時特記事項:非公開。要問合せヨウトイアワ、概要:鎌倉時代に真慈悲寺という寺院が存在したと推定される京王百草園内から出土した鎌倉時代の瓦。ジダイシンジヒジジインソンザイスイテイケイオウモグサエンナイシュツドカマクラジダイカワラ、説明:平成元年の仁王塚遺跡(№39遺跡)に位置する京王百草園内の発掘調査により、総出土量約5,000点にのぼる瓦が出土した。その主な出土地点は、現在松連庵(しょうれんあん)と三檪庵(さんれきあん)が建っている平場よりやや谷側に下った地点(水洗トイレ付近)である。 出土した5,000点の瓦の出土状況は、近世の松連寺や百草園が造られた時に、整地のため平場から廃棄された状態を示している。 指定する42点の瓦の内39点がこの廃棄された瓦であり、残り3点(№30~32)の瓦は、京王百草園内から表面採集された瓦である。 真慈悲寺は鎌倉幕府の記録である『吾妻(あづま)鏡(かがみ)』に記載が見られる。それによれば、真慈悲寺は一時衰退していたが、僧である有尋(ゆうじん)の訴えにより鎌倉幕府が再興した祈祷(きとう)の霊場であり〔文治2(1186)年2月3日条〕、鎌倉勝(しょう)長寿院(ちょうじゅいん)(南御堂)で行なわれた後白河法皇の四十九日法要(百(ひゃく)僧(ぞう)供(く))の際に三人の僧を送る格式の高い大寺院であったことがわかる〔建久3(1192)年5月8日条〕。しかしその所在地は長らく不明とされ、百草八幡神社が所蔵する建長2(1250)年鋳造の阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財)の背銘に「日本武州多西(たさい)吉冨(よしとみ)真慈悲寺」と刻まれていることから、武蔵国多西郡吉富郷 (日野市百草・落川を含む多摩市・府中市の一部)と考えられ、京王百草園一帯がその寺域に推定されるにとどまっていた。 発掘調査等により出土した本資料は、このような真慈悲寺の存在を裏付ける資料として位置付けられる。瓦の年代は、真慈悲寺が存在した時期と一致している。また、出土瓦の特徴と出土量から、この瓦を用いた建物は本瓦葺きの建物であったと推測される。近隣における中世瓦の出土地点としては、多摩川流域の阿蘇(あそ)神社(羽村市)、二宮神社(あきる野市)、蓮生寺(八王子市)、大国(おおくに)魂(たま)神社(府中市)などの例があげられるが、約5,000点もの瓦が出土しているのは、都内でも本資料だけである。このことと、文献等の既存資料及び当時の多摩地域の寺院の状況を踏まえるならば、本資料を用いた建物は真慈悲寺であったと推定される。 、 .hino.lg.jp/bunka/bunka/bunkazai/1003232.html、文化財指定日:2011/8/17
発掘概要 :
その他概要 : 東京都日野市:文化財一覧,http://www.city.hino.lg.jp/cgi-opd/opendata_detail.cgi?id=5e9606fe4a0ee6e79e3349ed1464f8115730c1ca(2021年3月19日時点)
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