奈良文化財研究所

95009656-天明三年浅間山噴火横死者供養碑

文化財総覧WebGIS
RecNo : 95009656
ID :
市町村ID :
種別 :
名称(漢字) : 天明三年浅間山噴火横死者供養碑
名称(かな) : テンメイサンネンアサマヤマフンカオウシシャクヨウヒ
所在地コード : 130001.0
都道府県番号 : 13.0
所在地 : 東京都江戸川区東小岩2-24-2
主な時代コード :
主な時代 :
指定区分 :
北緯(日本測地系) :
東経(日本測地系) :
北緯(世界測地系) : 35.72767
東経(世界測地系) : 139.8938
時代・遺跡種別コード :
時代・遺跡種別 : 歴史資料
面積 :
群集遺跡ID番号 :
遺構概要 :
遺物概要 : 名称_カナ:テンメイサンネンアサマヤマフンカオウシシャクヨウヒ、名称_英語:Tenmei 3 nen Asama-yama Funka Oshisha Kuyohi (Monument for the Dead in the Eruption of Mt. Asama in 1783)文化財分類:都指定文化財、種類:歴史資料、方書:善養寺、員数:1基、所有者等:宗教法人 善養寺、利用可能曜日:月火水木金土日、説明: 天明3年(1783)の浅間山噴火に際し、善養寺付近にも噴火による死者が多数漂着しました。その状況は喜田有順の『親子草』に「市川御番所手前に毘沙門洲と号け候所有之、船頭申候は、以前浅間山焼候節、此洲僅の洲に有之候処、人馬悉流来て此洲に掛り、如斯大なる洲と相成申候、所の者打寄施餓鬼致せし」とある。毘沙門洲の所在地は不明ですが、市川御番所手前とあることから、善養寺付近の江戸川流路中と考えられます。  銘文によれば、寛政7年(1795)に善養寺のあった下小岩村の人々が犠牲者の13回忌供養のため建立しました。碑は当初、善養寺東方の江戸川岸近くにありましたが、堤防改修の折に所在不明となりました。昭和46年に廃石中から発見され、現在地に移建されました。  善養寺境内の西部、総門と不動門の間、参道の南側に北面して建っています。安山岩(小松石)で、作者は不詳。棹石はやや扁平な長方形で、背面は幾分傾斜し野面に近くなっています。棹石の高さ115.5cm、幅33cm、奥行21.5cm。台石は扁平で、中央奥に棹石を嵌め込んでいます。前方に水鉢を挟んで、花立一対を刻みます。台石の高さ地上24cm、幅57.5cm、奥行43.8cm。江戸時代の人々と災害の関係を考える上で重要な資料です。
発掘概要 :
その他概要 : 東京都:文化財一覧,https://catalog.data.metro.tokyo.lg.jp/dataset/t000021d0000000017(2021年3月19日時点)
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