RecNo : 95009643
ID :
市町村ID :
種別 :
名称(漢字) : 水道碑記
名称(かな) : スイドウのイシブミノキ
所在地コード : 130001.0
都道府県番号 : 13.0
所在地 : 東京都新宿区内藤町87
主な時代コード :
主な時代 :
指定区分 :
北緯(日本測地系) :
東経(日本測地系) :
北緯(世界測地系) : 35.68762
東経(世界測地系) : 139.7144
時代・遺跡種別コード :
時代・遺跡種別 : 歴史資料
面積 :
群集遺跡ID番号 :
遺構概要 :
遺物概要 : 名称_カナ:スイドウのイシブミノキ、名称_英語:Suido-no-Ishibumi-no-ki (Description of Monument in Commemoration of Kanda-josui Waterworks and Tamagawa-josui Waterworks)文化財分類:都指定文化財、種類:古文書、方書:新宿区立四谷区民センター内、員数:1基、所有者等:東京都(水道局) 、利用可能曜日:月火水木金土日、説明: 神田上水と
玉川上水の由来を記した記念碑です。高さ460cm、幅230cm。両上水の建設理由や、玉川上水建設に貢献した玉川庄右衛門・清右衛門の事績を称える内容が記されています。 日本橋在住の西座真治の出願によるもので、当初は日本橋・一石橋両橋の橋台地付近に建設する計画でした。しかし、その旨を警視庁に出願したところ「元来水道記念碑を設置する場所は水道に縁故ある土地を以ってすべき」として許可されませんでした。そこで、水道に関係ある場所として、玉川上水水番所があった四谷大木戸の現在地に設置されることとなりました。明治18年(1885)に完成予定でしたが、真治の急逝により資金が尽きてしまいます。建設計画は一時中断したが、10年後の明治28年に完成しました。 篆額は、徳川慶喜の隠退に伴い徳川宗家を相続した徳川家達(いえさと)(1863~1940)。撰者は、旧鹿児島藩士の肝付兼武。書丹は、幕末の志士で明治政府の官僚となり、書家でもあった金井之恭(ゆきやす)(1833~1907、号は金洞)。鐫刻(せんこく)は、広群鶴と並ぶ明治時代の石工で、駒込肴町の井亀泉(せいきせん)こと酒井八右衛門によります。
発掘概要 :
その他概要 : 東京都:文化財一覧,https://catalog.data.metro.tokyo.lg.jp/dataset/t000021d0000000017(2021年3月19日時点)
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