総覧抄録ID : 44708
要約 : 樺崎渡戸古窯跡は足利市北部の丘陵地帯に営まれた古墳時代後期の窯跡である。灰原1カ所を調査した結果、7世紀初頭から前半にかけての須恵器が多く出土した。製品は全体的に薄手で作りが良く、口縁が八の字に開く坏蓋や頸部補強帯を持つ甕など、いわゆる北関東系須恵器がごく僅かであることから、須恵器生産中心地である東海西部の製作技術が深く関わったものと推測される。また、県内で調査された窯跡の中では最も古い時代に属するものである。窯本体は調査区内では確認されていない。出土遺物の時期や出土状況から、短期間に単発的に操業された窯跡である可能性が高いと考えられる。 \n 樺崎中妻遺跡は樺崎渡戸古窯跡に隣接し、樺崎川に面した沢の斜面に位置する。試掘調査では榛名二ツ岳渋川テフラ、浅間Bテフラが確認されたが、いずれも遺構に伴うものではなかった。確認された土坑群の時期は不明だが、遺構外からは古墳時代から近代に至る遺物が出土している。 \n 栃本西遺跡は、佐野市北部の田沼扇状地に残る微高地状に位置する。古代(10世紀)の竪穴住居跡3軒、溝1条、土坑3基が確認された。住居跡群は南北の調査区外に続くと考えられるが、竪穴住居跡数軒の小規模な集落であったと想定される。住居内からは土師器椀や甕、灰釉陶器が出土している。SI-01竪穴住居跡の床下からは、住居の時期よりも古い瓦が出土した。 \n 唐沢山城跡は、佐野市北東部の唐沢山内に展開する中世の山城であり、山麓の根小屋地区の南端に位置する竪堀を調査した。竪堀は全長約60m、最大幅11mの規模で、北側に最大高1m、最大幅8mの土塁を伴う。竪堀南側の斜面及び平坦地では城郭に伴う遺構は確認されず、この竪堀が当初の想定通り、根小屋地区の南端を区切る施設であることが確認された。遺物の多くは竪堀内から出土したもので、土師質皿を中心に五輪塔、石製硯、人の頭骨などが出土している。 \n
遺跡名 : 唐沢山城跡
都道府県 : 栃木県
遺跡所在地 : 栃木県佐野市栃本町
市町村コード : 9204
北緯(世界測地系) : 36.352002
東経(世界測地系) : 139.591813
主な時代 : 戦国
時代・遺跡種別 : 城館
主な遺構|主な遺構 : 城跡(竪堀)1基
主な遺物|主な遺物 : 土師質土器|硯|鉄製品(鎌・釘)|人骨
総覧URL : https://sitereports.nabunken.go.jp/25622
特記事項 : 中世(戦国期)の山城跡