奈良文化財研究所

319521-清末隊の陣地壕

文化財総覧WebGIS
RecNo : 319521
ID :
市町村ID :
種別 : 個別
名称(漢字) : 清末隊の陣地壕
名称(かな) : きよすえたいのじんちごう
所在地コード : 47308
都道府県番号 : 47.0
所在地 : 沖縄県国頭郡本部町字大嘉陽
主な時代コード : 82
主な時代 : 昭和
指定区分 :
北緯(日本測地系) : 263816.0
東経(日本測地系) : 1275452.1
北緯(世界測地系) : 263830.0
東経(世界測地系) : 1275445.3
時代・遺跡種別コード : 8221
時代・遺跡種別 : その他
面積 :
群集遺跡ID番号 :
遺構概要 : 県立センター報16(陣地壕+石積)。 1944年7月以降、国頭支隊が築造。 独立混成第44旅団第2歩兵隊(隊長宇土武彦大佐)を中心とする国頭支隊が国頭地区を防備。沖縄への配備のため鹿児島から乗り込んでいた富山丸が1944年6月29日に米軍潜水艦による魚雷攻撃を受け徳之島沖にて沈没、人員・装備に多大な損害。 配備当初の国頭支隊は伊豆味国民学校に司令部を置く、恩名岳以北(伊江島を含む)の沖縄北部各地に部隊を配置して陣地を構築。 米軍進攻が始まった3月末に支隊本部を八重岳に移し本部半島一帯(八重岳を含む)を支隊直属部隊と第2歩兵隊第2大隊(隊長佐藤富夫少佐以下670名余、真部山に陣地)により防備。 清末隊は支隊直属部隊に編成された第2歩兵隊の砲中隊(隊長清末一義中尉以下120名余)、四一式山砲4(陸軍の連隊砲)備える。 主陣地-支隊本部と第2大隊本部の中間地点に位置する大嘉陽の山中。 渡久地や崎本部方面からの米軍進攻を牽制、4月16日に歩兵砲すべて破壊、中隊長清末中尉はじめ小隊長蔦井對馬中尉、同亀田登盛曹長以下約20名が壕外への攻撃を試み全滅。 中隊主陣地と各小隊によるいくつかの壕で構成されたと考えられる、大嘉陽に石積(中隊主陣地壕の入口か)+蔦井小隊の壕跡確認。 中隊主陣地付近に清末慰霊碑(1959年11月7日建立)、蔦井小隊の壕跡に関係者による供養塔あり。 <立地>山腹、標高約280m。
遺物概要 : 県立センター報16(瓶)
発掘概要 :
その他概要 : 『沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(III)―北部編―』県立センター報16、7-21。 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦』(1968)。町史編纂委員会『本部町史 資料編I』(1979)
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