総覧抄録ID : 147069
要約 : [仲ノ段遺跡第2・3次 要約]\n 遺構としては中世の土坑・溝、近世の土坑などを検出したにとどまったが、縄文時代前期・中期・後期の土器や石器、古墳時代後期の須恵器、奈良・平安時代の須恵器、土師器、黒色土器などの遺物が出土し、周辺にそれらの時代の集落が存在していることが明らかとなった。\n\n[天田内遺跡第2次 要約]\n 古墳時代の溝・土坑、中世の土坑などを検出するとともに、弥生時代後期~古墳時代後期にかけての遺物が多量に出土した。周辺に当該期の集落が広がっていることが明らかとなった。\n\n[深志野古墳群 要約]\n 深志野古墳群の最南端を調査したが、古墳の形跡とみられる遺構・遺物は検出されなかった。中世以前の溝や平安時代の土坑、包含層中から縄文土器、土師器、須恵器、陶磁器などが出土したことから、周辺の谷部や丘陵裾部に当該期の集落や墓域が存在している可能性がある。\n\n[丁谷古墓 要約]\n 直径約7.0m、比高差約0.8mのマウンド上に石碑が置かれており、古墓と考えられていた。石碑が置かれていた地点の下層で、礫が詰まった隅丸方形の土坑を検出したが、出土遺物もなく、墓穴である確証は得られなかった。\n\n[長岡宮跡第473次・南垣内遺跡 要約]\n 宝菩提院廃寺と関連する可能性のある平安時代前期の溝・土坑を検出した。また、中世以降の可能性が高い土坑・柱穴を検出し、物集女街道沿いの集落の一端を明らかにした。\n\n[新田遺跡第7次 要約]\n 調査地は、八幡市美濃山丘陵の段丘直下に位置する。近世後期の農業用水路などを検出した\nが、砂層や砂利層の基盤層では明確な遺構・遺物は検出できなかった。\n\n[鞍岡山2号墳 要約]\n 丘陵頂部に所在する直径25~30m、墳高3.5mの円墳である。墳頂部に全長7.4m、幅3.5m、深さ0.8mの墓壙を設けている。墓壙底部で、同時に埋葬された木棺を2基検出した。東棺は全長5m、幅0.45mを測り、四獣形鏡1面、管玉、勾玉、臼玉が200余点出土した。西棺は全長6m、幅0.6mを測り、鉄槍や鉄剣が5振出土した。副葬遺物から、男女が同時に埋葬されたと考えられる。5世紀前半の築造である。\n\n[片山遺跡 要約]\n 下馬遺跡の南東方に広がる集落遺跡である。近世の耕作溝などを検出したが、砂層を基盤層としており、他に明確な遺構、遺物は検出できなかった。\n\n[下馬遺跡 要約]\n 鞍岡山古墳群が所在する丘陵東方に広がる緩斜面上に位置する集落遺跡である。奈良時代と平安時代後期の掘立柱建物跡や溝などを検出した。周辺に所在する里廃寺や下狛廃寺との関連が想起される。\n
遺跡名 : 天田内遺跡 第2次
都道府県 : 京都府
遺跡所在地 : 京都府福知山市大江町天田内地内
市町村コード : 26201
北緯(世界測地系) : 35.4025
東経(世界測地系) : 135.149444
主な時代 : 弥生|古墳|中世(細分不明)
時代・遺跡種別 : 集落
主な遺構|主な遺構 : 包含層|溝|土坑
主な遺物|主な遺物 : 弥生土器|土師器 |須恵器|土師器
総覧URL : https://sitereports.nabunken.go.jp/25101
特記事項 :