奈良文化財研究所

141840-岩川官軍墓地

文化財総覧WebGIS
総覧抄録ID : 141840
要約 : 【滝ノ上火薬製造所跡】\n 薩摩藩は,火薬製造の本局として文政年間(1818 ~ 1831 年)に滝ノ上火薬製造所を設立した。稲荷川の水流を利用した直径4 mほどの水車を設置し,硝石や硫黄,木炭を粉末にして火薬を製造していた。平成5(1993)年の「8・6 水害」で,残存していた水路等が流失したと考えられていたが,今回の確認調査で,当時の石垣や石積み遺構,導水路が広く残存していることが判明した。\n\n【高熊山激戦地跡】\n 明治10(1877)年の西南戦争の大口の他戦いの際には,辺見十郎太が指揮する雷撃隊が坊主石山に,池辺吉十郎指揮する熊本隊が高熊山に陣を構えていた。確認調査では,現存している堡塁跡(塹壕)の構造を把握することができたほか,銃弾や薬莢も出土した。また,文献史料に残る戦闘状況と調査成果がおおよそ一致した。\n\n【チシャケ迫堡塁跡群】\n 明治10(1877)年の西南戦争では,政府軍と西郷軍は,牧園(旧踊郷)で2 度の戦闘を行っている。1 度目は,7 月1 日~ 7日に西郷軍が牧園一帯に陣を築き,政府軍と対峙している。2 度目は宮崎県延岡の可愛岳を突破した西郷軍が鹿児島に突入する直前の8 月30 日に,笠取峠で激しい銃撃戦を展開している。確認調査では,7 月・8 月の戦闘の時に構築された300 基以上あるとされる堡塁跡のうち,チシャケ迫に位置する堡塁跡7 基の調査を行った。\n\n【岩川政府軍墓地】\n 岩川の政府軍墓地は、西南戦争で亡くなった政府軍の戦死者を埋葬した墓地であり,陸軍大尉山形照方,少尉奥田政実,少尉試補林為隆など79 基の墓石と残欠7 基が存在している。墓石はすべて天草下浦石( 砂岩)製である。調査では,現在の姿は当時のものでなく,改変(整備)をうけていることが判明した。さらに,当時の造営面を明らかにし,2 基の墓坑の可能性があるプランを確認した。また,東に1.5 ㎞ほど離れた薩軍の墓の測量などを行い,今後の検討資料を蓄積することができた。
遺跡名 : 岩川官軍墓地
都道府県 : 鹿児島県
遺跡所在地 : 鹿児島県曽於市大隅町岩川
市町村コード : 46217
北緯(世界測地系) : 31.594166
東経(世界測地系) : 130.990833
主な時代 : 明治
時代・遺跡種別 : 墓|軍事(近代以降)
主な遺構|主な遺構 : 墓石|残欠
主な遺物|主な遺物 : 古銭
総覧URL : https://sitereports.nabunken.go.jp/91626
特記事項 : 曽於市指定文化財(昭和49.3.8)